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現代の尾道町に忽然と現れた江戸時代の灰屋の庭

気になる風景/Kiininarufukei> 橋本別邸の塀/HashimotoBetteinoKabe

橋本別邸の塀/HashimotoBetteinoKabe


橋本別邸の塀/HashimotoBetteinoKabe
まるでタイムカプセルに格納された江戸時代の日本庭園が、忽然と長い眠りから解き放たれ、現代に甦った!という印象だ。高さ3メートルはあろうかと思われる防火用鉄筋コンクリートの壁は、半世紀以上もの間、江戸時代の豪商「灰屋」橋本家の別荘を囲い、尾道町と隔絶させていた。
その壁が、2006年9月無惨にも目の前で壊されて行く。日常の記憶に刻まれているものが、ある日突然姿を消すというのは、何とも言えず寂しい。
この壁は二つの理由で壊される運命となったという。一つは、今から30〜40年前の車両交通優先の価値観で計画された道路拡張計画をそのまま実行するという行政的合理性、もう一つは橋本家の日本庭園の一部を一般公開するという尾道町の再生計画のためだという。
壁破れて庭園あり。時代を隔絶してきた壁が壊され、苔むした庭石や樹木が、数百年の時間を越えて、現代の尾道町のどまん中にむき出しに放り出されたのだ。永い眠りから未だ目覚めぬ庭には、しっとりとした古の空気が漂い、何とも心地よい。
尾道町を取り囲む三山は緑豊かだが、町中にはほとんど緑が無い。大樹がない。木陰がなくて、憩いがない。そんなところへ、橋本邸の日本庭園の大樹が出現したのだ。歩道や道路といった公共空間に大きな樹木が根をおろし枝を広げる様は想像するだけでも魅力的だ。これは、諸手をあげて喜ぶべきか、と思っているのだが、道路拡張に邪魔だからと、ひょっとして伐採しようなんて馬鹿なことは考えないだろう、と吾輩は信じるのだが...。
橋本別邸の塀/HashimotoBetteinoKabe
その後、この楠は空に向かって伸びていた幹の2分の1以上が無残にも切り落とされ、新たに歩道となった場所で辛うじて命を繋いでいる。その状況を吾輩のFacebookに2017年6月24日投稿している。
「この無残な姿は、1週間余り前のことです。江戸時代の豪商橋本家の別邸の庭にあった楠の木です。尾道市の管理下となり庭の一部が道路となり、歩道のなかでどっしりとした存在感と風情を周囲に醸しておりましたが、どういうわけか、樹形の半分以上が切り捨てられ、こんな姿になりました。悲しいことに、これが日本遺産のまち尾道です。」
日本人(あるいは尾道市民)は公共の空間に対する意識をもっと深めてほしいと思う。そして、公共空間を大切にすることは、個人を犠牲にするのではなく、個人を大切にする発想から生まれて来なければならない。経済は大切だが、経済至上主義ではやって行けない。経済的合理性を超える、個人、文化、歴史を大切に生かす智恵がなければ、まちも都市も国も、なによりも市民や国民は豊かになれない。私たちの日常の生活や風景の質を智恵をつかって高めることこそ、まちづくりの原点だと思うのだが....。
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